「・・・あっ!!」
それは『普通のボール』ではなかったが為に。
目の前に飛んできた『ボール』を反射的に蹴り返そうとしたのに。
小狼の思惑とは大きく外れてゆっくりと地面に向かって落ちていく。
地に着く、と見えた瞬間。
黒き疾風が掬うように蹴り上げた。
「アリ!」
ポーン、と宙を舞った『ボール』に、驚きを目を向けたのは、旅の仲間のみならず。
彼方で『それ』に興じていた者たちもまた、目を丸くして呆然とした。
「受けねば失礼というものであろう・・・『オウ』!」
鬢も真白い老人が、その見た目とは裏腹に鮮やかな動きを見せて蹴り返してきた。
黒鋼もそれを受けて蹴り返す。
鮮やかに。
しかし、典雅に。
宙を舞うボール―――――――『鞠』は、ポン、と老人の手に収まった。
「今日はここまでにいたそう。」
それが散会の合図であったのか。
今まで囲むように見ていた者たちは三々五々に散って行く。
老人は皆の許に歩み寄ってきた。
「お見事でござった。心得がおありと見たが。」
「昔、素養として修めただけだ。」
「三つ子の魂なんとやら。よろしければ茶など一席設けたい。」
どうぞ、と。
指し示す先には、大きな屋根が木々の合間から見えていた。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
「実にお見事でござった。よほどの方に師事されたのであろう。」
菓子と共に茶を勧めて。
老人は率直に感嘆の言葉を口にした。
「ご老体は、ここのご隠居か。」
主の住まいにしては脇の方の建物で、かなり小さい。
ファイもまた、奥の襖に破れがあるのを見て取っていた。
「今は不肖の倅が当主でござります。」
どうやら冷遇されているらしい、この老人は、ずず、と茶を啜った。
「これでもかつては『蹴聖』などともてはやされた事もござった・・・・昔の夢、でございますがな。」
その声は、自嘲気味に。
「この度、この地に祀られておる祭神の祈年祭がござってな・・・これが百年に一度の大祭でございます。」
老人は、誰かに話したかったのだろうか。
いや、そうではあるまい。
おそらくは、静かに己の胸のうちに秘めたままにしておくつもりの事だったのだろう――――――――――。
「今はもう『蹴鞠』と申せば、何やら点数までつけて争うものと成り果てましてな。」
庭の木の枝に、つがいらしき鳥がやってきた。
「元々は、如何に長く鞠を地に着けないかという妙技を神々に披露するためのものであったのに。」
「神様は『蹴鞠』が好きなんですか?」
サクラの問いに老人は笑った。
鳥たちはその笑い声に驚いたのか、パタパタと飛んでいく。
「さよう。といいますのは、その『祭神』というのは、3柱の鞠の精霊なのでございます。」
「『精霊』・・・・。」
「猿の姿をしておられた、と言い伝えられております。」
猿の身軽な仕草が連想させたのだろうか。
「この老いぼれが今日まで在れたのは、全てはこの3柱の神々のおかげの他にありませぬ。」
茶碗をコトリ、と置いた。
「本来の『蹴鞠』の在るべき姿を披露し、奉納して―――――――この道より退きたいと願っておりました。」
しかし。
「元々多少の人数を必要とするもの。この老いぼれの相手に立とう、という者は居りませなんだ。」
そして、その『心』も。
「おざなりな心の持ち主など、こちらから願い下げでございますのでな。」
大祭に、自分は観客側に居る事になるだろう、と老人は言った。
「俺たちに、何か手伝えることはありませんか?」
小狼の、真剣な目の光を認めて、老人はふっと微笑んだ。
「ありがとうお若いの。・・・じゃが、この『蹴鞠』というものは、その所作が難しくてな。」
「全部『すり足』で動くとか、上半身動かさないとか、腰や膝を曲げないとか、『3足(=3回)で返す』とかな。」
「・・・うわ。」
これでは筋肉痛は必至だ。
でも、『何か』したかった。
同情ではなく、何かこう、『大きなモノ』に突き動かされるような、そんな感じで。
「最低人数は4人だったと記憶しているが。」
「左様でござる。・・・おかしなものですな、何処ともわからぬ異国にも同じようなものがあるという事が。」
それは当たり前の感想だろう。
ちょっと苦笑いをして。
それでも小狼とファイは、『蹴鞠』の特訓をすることになった。
『大祭』まで――――――――――あと10日。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
百年に一度の大祭は、賑々しく催行された。
やはり『蹴鞠』の神だけあって、奉納試合をする者が引きもきらない。
そして最後に。
静々と、あの老人が進み出た。
(何をするのだろう?)
人々の好奇に満ちた視線が集中する。
老人は木の枝に挟んだ『鞠』を丁寧に地に着け、流れるような所作で祓い清める。
続いて『鞠懸かり』に入ってきたのは――――――――――。
「おぉ・・・・・・!」
どよめきが起こった。
その姿から、一見して異国の者と知れる。
しかしその身に纏うのは。
立烏帽子に紅色金紗の水干。
萌黄色の袴を穿いた、ファイと小狼。
元々運動能力に傑出した2人だ。
本来なら基本動作だけで3年はかかる、といわれる所を、僅か数日でモノにした。
老人をして、『これはもはや七段の域であろう。』と言わしめての、この装束だった。
そして、さらに一日の長がある黒鋼は。
立烏帽子に紫の懸緒を懸け、紅金紗の水干に白打貫を穿いた、『八段』の装束だった。
かつて『蹴聖』と呼ばれた老人は、自ら最高位である十段の装束を纏い、典雅な仕草で鞠を蹴り上げた。
「オウ!」
「アリ!」
「ヤウ!」
声と共に。
魔術師の鳥が如き動きに乗せて。
黄玉の瞳に、軽やかにその軌跡を映し。
そして、黒き疾風に包まれるに似て。
鞠は華麗に、宙を舞う。
袂が風に揺れ。
典雅な仕草に『高貴さ』をも垣間見る。
神々よ、ご照覧あれ。
御身のおかげをもって、今日まで在ったこの身を。
己の持つ全てをこめて一手一手を空へ。
心より御礼申し上げまする――――――――――。
ざわざわと。
『鞠懸かり』の四隅に植えられた『式木』が葉擦れの音を激しくした。
「!!!」
観客席に居たサクラは確かに見た――――――――――。
3匹の猿が、空を駆け渡っていくのを。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
皆を魅了した、その技、その心栄え、まことに天晴れなり、と。
老人は皇帝から直々に言葉を賜る栄誉に浴した。
それと同時に、老人を冷遇していた息子である当主は叱責を受け。
惜しまれながら老人は勇退して、真に安穏な隠居生活を送ることになった。
「おぬし達のおかげじゃ。」
老人は笑い。
これは礼だ、と言って漆塗りの箱を差し出した。
開けてみると。
「・・・姫の羽・・・・!!」
聞けば、皇帝の寝所にこれは在ったのだという。
「不思議な羽の話を聞いた事があったのでな。」
不眠症を苦にしていた皇帝が眠れるようになったのだという。
「あ・・・じゃあ皇帝は・・・・。」
また不眠症になるのではないのか?
小狼の危惧に、老人は笑った。
「大丈夫じゃよ。不眠の原因は皇女殿下の縁談の事だったのでな。」
首尾よく話がまとまり、ちょっと性格に難のある皇女も落ち着く先が決まったのだと。
どう突っ込んでいいのか解らない、あいまいな笑みを浮かべる小狼に、皆もこらえきれずに噴き出してしまう。
これは記念に持って行くといい、と言われて、蹴鞠装束を受け取った。
「モコナ、預かってて。」
「うん、わかった!」
老人の元を辞し、町外れで次元移動の陣を張った皆は、ふと視線を感じて街の方を見た。
「あ・・・・・。」
3匹の猿が。
柔らかな笑みをたたえて、皆を見送っていた。
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