穏やかに、時は流れる。
さらさらさらさらさら・・・・・・・。
砂時計の砂が落ちる音にも似て。
悠久という名の『時の大河』の漣の。
波間に漂って、静かに流れ下っていく――――――――――。
「此処に居られたのですか。」
柔らかな声音に、ふと目を開けた。
自分は眠っていたのだろうか。
「・・・夢を・・・・・・。」
「ご覧になっていましたか。」
「・・・・うん・・・・・・。」
そのまままた、静かに目を閉じる。
さらさらさらさらさらさらさら・・・・・・・・・。
確かに聞こえると思うこの音は。
自分にしか聞こえない幻聴なのだろうか?
「・・・ゆっくりとお休みください。それが貴女にとって、一番よい方法なんです。」
雪兎神官は、傍にあったガウンをそっとその小さな背中にかけた。
最後の記憶にあったのよりは、幾分大きくなったかのように思える。
身体も、そして心も、大きく成長して。
しかしその『大きさ』に『強固さ』がついていっていない。
だから余計に『脆く』なったような感さえ受ける。
(護らなければ。)
触れなば折れんとするかの如くに危うい、桜の一枝を。
雪兎神官の脳裏に、『あの時』の記憶が甦る。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
旅が終わり。
玖楼国に2人は帰ってきた。
いや正確には2人ではなく。
『旅の同行者』だという者達も共に居た。
燃えるような瞳の黒い疾風。
どこまでも高い空のような瞳の白き魔術師。
旅をさせてくれたという小さな魔法生物。
そして――――――――――運命の人、小狼。
彼は、変わり果てていた。
気配はギスギスと棘をはらみ。
その目は野獣のような、しかし冷酷さをも兼ね備えた光を放っていた。
いつもぴりぴりと神経を研ぎ澄まし、あらゆるものに警戒を向ける。
言葉を発することもない。
眠っても、『眠って』いない。
常時覚醒状態の追い詰められた凶獣――――――――――それが小狼だった。
その小狼が、唯一サクラを見るときだけ、気配が柔らかくなるのだ。
その肝心のサクラは――――――――――。
傷つき、手当てこそなされているものの、魂と身体とが離れて『眠った』状態だった。
「頼む、力を貸してくれ。・・・『2人』を呼び戻す為に。」
そういって頭を下げたのは――――――――――『小狼』。
あまりのそっくりさに驚けば、自分は『鏡の実像』なのだと説明した。
「『彼』は、この俺から作られた『写し身』だ。」
それでそっくりなのか、と合点する。
『彼』の中にある、『新しく生まれた心』を。
『表』に呼び戻せば、『彼』は『戻る』。
そして、同じような所で、しかし違う場所に封じ込められたサクラの魂も。
「しかし、それでは、『彼』がとてつもない苦しみを背負うことになりませんか?」
雪兎神官は、『彼』が為した事を垣間見た。
血塗られた、行為を。
「『彼』の心が壊れてしまいませんか?」
「それを支えるのは・・・・・・・さくら・・・だから・・・。」
本来なら自分があるべき位置には、自分は居ない。
逆に、居なければならないのは、『彼』の方――――――――――。
『小狼』の苦悩する顔に、その眉間の皺をさらに深くして。
黒鋼もまた、雪兎神官に進言した。
「考え抜いて、『これが最良』と決めたことだ。ネガイを叶えてやってほしい。」
「とても大きな力が必要です。・・・私だけでは、とても。」
「・・・オレも、手伝うから・・・・。」
隻眼の魔術師が静かに頷いてみせる。
「我が唯一の姫君の、ネガイだからね。」
私は、小狼君の心を取り戻したい。
その為に、皆を守りつつ、未来を変えつつ。
サクラは命がけでその身を危険にさらしてきた。
「もう姫には『強運』はねぇ。・・・次元の魔女に渡しちまったからな。」
その身を守る鎧の全てを剥ぎ取られて、なお。
求め続けた小狼の『心』。
「・・・解りました。」
心を決めて。
雪兎神官は地下にある祈り場へと誘った。
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「必要なのは『小狼』君のチカラ。それと貴方の力です。」
魔法陣を描きながら、雪兎神官はファイに言う。
「『彼』の中にあるチカラは、貴方のものですね?」
「そう。」
「では、『同調させ』て、『取り出して』下さい。」
ずいぶん簡単に言ってくれて、とファイが思わず苦笑する。
「『小狼』君は、私と一緒に魔法陣を支えてください。」
「わかった。」
「俺は何をすればいい?」
黒鋼の問いに、雪兎神官は難しそうな顔をした。
「魔力を持たない貴方に難しいかもしれませんが・・・・。」
「構わねぇ。」
「では・・・・術を仕掛けた時、サクラ姫が渦に飲み込まれないようにしっかりと支えていてください。」
「・・・?・・・解った。」
「では、始めます。」
雪兎神官は呪文を唱え始めた。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
魔法そのものは、成功した。
小狼の『心』と、サクラの『魂』は帰ってきた。
しかし。
(皆の払った、『対価』が・・・・大きすぎる。)
小狼は、右目の視力と、『声』を失った。
ファイは一旦魔力を取り戻したことによって、吸血鬼の性から解放されはしたが。
『人間』に戻る際の凄まじい衝撃と苦痛にのた打ち回った。
さらに、その魔力を3分の1減らされた。
黒鋼は『強さ』を3分の1。
雪兎神官も同様に、己の魔力を3分の1減らされた。
そして――――――――――。
『小狼』は。
「・・・さくらを・・・・頼む・・・・・・。」
そう言って。
静かに消えていった。
『同じ』存在は、一所に同時に存在できない。
黒鋼が眉間の皺を深くし、ファイもまた眉根を寄せたのを見て、『小狼』はふ、と笑った。
「あの男に捕らわれた時に決まった未来だから・・・・。」
「・・・・・小狼。」
めったなことではその名を呼ばぬ黒鋼が、『小狼』を『名前』で呼んだ。
その目を見開いて。
さびしそうな微笑みを浮かべて。
『小狼』は消えていく。
「・・・・・・ありがとう・・・・・・。」
その『存在』を認めてくれて、と。
『小狼』の『心』は、光の粒となって小狼の身体に降り注いだ。
小狼の目から、涙が一筋、頬を伝って零れ落ちていく。
(必ず、護るから・・・・・・。)
心の誓いは、光に届いただろうか?
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対価とは、釣り合うモノ。
重過ぎるとさえ思えるほどのものを支払わねばならなかったほどの事。
だがそれを後悔はしない。
ただ悔やまれるとしたら。
「・・・俺がもし『対価』を払って参加していれば、もしかしたら、さくらを・・・・。」
「桃矢、それは言ってはいけないことだよ。」
雪兎神官はス、と指を1本立てて唇にあてる。
サクラの魂は身体に帰った。
しかし、離れていた期間が長すぎたのか、今ひとつ完全に融合しているとはいいがたい。
同調しきれないのか、身体はいつも眠りを欲している。
そして――――――――――その右足は、かつて対価として差し出したまま。
自由が戻る事はなかった。
「あと、3ヶ月。」
約束を、した。
「次のサクラ姫と・・・小狼君の誕生日を、皆で祝ってあげてください。」
黒鋼もファイも、それは了承したのだが。
「それまでここに居ればいいのか?」
「いえ、ご自分の国にお戻りください。・・・・・・一緒に連れてきてくださいますね?」
たとえ3分の2になったとしても、ファイの魔力は高い。
2人分の次元移動ぐらいは容易なことだったのだ。
了解し、2人はそれぞれの国へ帰った。
日本国とセレス国へ。
「小狼君は、どうしますか?」
返事はさらさらと書きとめられた。
<鍛錬や古文書の研究などをして、『その日』を待ちます。>
「結構です。・・・それまでには、サクラ姫も回復されるでしょうから・・・・。」
後ろで仏頂面で頷く桃矢王に一礼して、小狼も王宮を辞した。
「・・・・絶対、大丈夫、ですから。」
それは、自分にも言い聞かせる為に。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
そして、その日はやってきた。
「サクラちゃん、誕生日おめでとう。」
「姫も小僧もめでたい日だな。」
約束どおり、ファイは黒鋼を伴って玖楼国を訪れていた。
「もうねー、黒様、もたもたしてるから、遅刻するかと思ったよー!」
「文句は知世姫に言え!!」
知世姫が『サクラ姫に反物を。』などと言い出して、それの選別に時間がかかったのだ。
「これはそのいわくの反物な。知世姫からだ。」
差し出されたのは、ぼかしの入ったピンクの地に、桜の花の意匠が描き出された華麗な染物。
「綺麗・・・・・・!」
「桜の花だ。」
「これが・・・日本国の桜、なんですね・・・・・。」
「桜都国にも似ているが、一度見に来るといい。」
日本国に来い、と。
不器用な誘いに、サクラはにっこり笑った。
「きっと・・・いえ、必ず行きます。桜を見に。」
「あぁ、待ってるぞ。」
雪兎神官の顔もふと、綻んだ。
黒鋼からは、桜の花の飾りのついた髪飾り。
ファイからは、精緻な彫刻を背面に施した手鏡が贈られた。
「もしかして・・・・手作りですか?」
問われてファイは、にこ、と笑う。
サクラはプレゼントをぎゅ、と胸にかき抱いた。
「・・・とても・・・嬉しい・・・・。」
自分が切り捨ててしまったかのような『仲間』達なのに。
それでもこんなにも想ってくれる。
自分は何と恵まれているのだろう。
どれほど深く『愛されて』いるのだろう。
守られて、護られて。
自分が『護りたい』などと思ったことなど、子供だましであるような。
我知らず涙が零れる。
「泣き顔は、似合わないよ。」
そういってハンカチで優しくその涙を拭う魔術師。
大きな手をぽふ、と頭においてわしゃわしゃと撫でる黒き疾風。
「ほら、黒様、そんなことしちゃサクラちゃんの折角の髪がくちゃくちゃじゃない!」
誕生日の祝いだからと、丁寧に櫛を入れられた髪はもうボサボサだ。
「そのほうが姫らしい。」
「え?・・・・・えーっ?!」
「それひどいよー!女の子に対していう台詞じゃないよー!!」
2人の抗議は軽くスルーされる。
「小僧はどうした?」
「どこかに出かけて・・・・あ、帰ってきたようですね。」
雪兎神官が指す方を見れば、小狼が息せき切って戻ってくるのが見える。
「遅ぇぞ。」
「どこ行ってたのー?」
質問には答えず。
照れ笑いを浮かべながら、小狼はサクラに手にしたものを差し出した。
「あ・・・・。」
「おや、これは。」
サクラの顔が輝く。
手にしていたのは、小さな花。
「これが咲いているのは2つ向こうのオアシスですね?そこまで行っていたのですか?」
顔を赤くして、こく、と頷く。
どのくらい遠いのかと黒鋼に問われて、『この王宮からあの砂漠の遺跡までの距離の3倍くらい』と雪兎神官は答えた。
「この花の花言葉は、『貴女に最大の祝福を』です。」
それも知った上で摘みに行ったのだろう。
雪兎神官がコップに水を入れて持ってきて、サクラはそっとそれに挿した。
「ありがとう・・・・・小狼。」
小狼はにっこりと笑った。
声が失われた今、その表情は何よりも雄弁に小狼の心を表す。
どこか、はにかんだような。
ぎこちなさすら感じさせる、笑み。
それは、今なお小狼が『心の傷』を抱えていることを如実に示していた。
「これは、お前に、だ。」
そう言って差し出された包みに、驚きの目を向ける。
見上げれば、その紅玉の瞳は限りない優しさをたたえて。
受け取り、そっと開ければ。
「・・・・・・・・・。」
小狼の顔が、くしゃ、と歪んだ。
両の手に『それ』を包み込み、握り締めて。
額に当て、目を閉じる。
こらえきれぬ感情が、涙となってあふれ出た。
その頭にそっと置かれて。
ワシワシとした、その手の温もり。
「小狼君、黒様に何を貰ったの?」
これはオレから、とリボンでラッピングした袋(中身はルーペだった)を渡しながら、ファイが尋ねた。
小狼は、そっと手を開く。
「・・・わぁ・・・・・。」
手にしていたのは、1枚の金属板。
見れば精緻な絵が描かれている。
その意匠は――――――――――狼。
2頭の狼の顔が向かい合わせに描き出されていた。
「象眼細工だ。」
「へぇ・・・・。」
「ベルトのバックルなんかにも良さそうですね。」
「・・・黒鋼さんが作ったんですか?」
サクラの問いに、黒鋼はガシガシと頭をかいた。
ありがとうございます。
小狼の口は、確かにそう動いた。
言葉は、『声』は出ない。
だが、確かに心は届いたはずだ。
お前たちは、2人で1人。
そして、2人で2人。
いつも、『あいつ』はお前の傍に居る。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
「こんなにすごい物、先にプレゼントされちゃったら、私・・・・・。」
ためらうサクラを、雪兎神官がポンと肩を叩いて後押しする。
「大丈夫ですよ、姫。」
「雪兎さん・・・・・。」
意を決して。
サクラはおずおずと小さな包みを差し出した。
「誕生日、おめでとう。・・・小狼。」
にっこり笑って包みを受け取る。
中に入っていたのは――――――――――。
「可愛いね。」
「姫らしいな。」
小さな、小さな布で作ったマスコット。
「・・・い・・・犬・・・なんだけど・・・・・。」
どう見ても『犬』には見えない。
かといって、熊にも、ネコにも、豚にも見えず。
要は摩訶不思議な動物らしき――――――――――世間一般的には、『失敗作』。
それでも。
ありがとう、さくら。
唇が、言葉をあらわして動く。
サクラは真っ赤になってうつむいた。
「玖楼国に到着――――――――――ぅ!!」
「どわあぁぁっっ!!」
猛然としたスピードで黒鋼の後頭部に降ってきた物体――――――――――モコナは、シュタ!と手をあげた。
「サクラ!小狼!久しぶり!!」
「モコちゃん!」
「モコナ〜〜久しぶり〜〜〜!」
「ファイも久しぶり〜〜〜〜!」
「し〜〜ろ〜〜ま〜〜ん〜〜じゅ〜〜う〜〜〜・・・・。」
「キャー!黒鋼、怒りんぼー!!」
びよーんと耳を左右に引っ張られてキャーキャー騒ぐ。
懐かしい、その光景。
ぽいっと黒鋼はモコナを小狼に向かって放り投げた。
「小狼、久しぶり。」
元気だったかい?モコナ。
唇の動きに、モコナはにっこりとする。
「はい!これ2人にプレゼント!!」
その手にあったのは――――――――――。
「四葉のクローバー・・・・・!」
それも、2本。
「せっかくだから、押し花にして栞にするといいんじゃない?」
ファイの進言にサクラは頷く。
「がんばって探したんだな。」
黒鋼の言葉に、モコナはえへへ、と照れ笑いをした。
四葉を探すのも大変なのに、それを2本も。
「ありがとう、モコちゃん。」
「きっと幸せになれるよね?」
「うん、きっと。」
ありがとう、モコナ。嬉しいよ。
唇を読んで、モコナは満足そうに笑った。
「さあさ、あちらで食事の支度が出来たと料理長が知らせてきましたよ。」
手をパンパンと叩いて、雪兎神官が声をかけた。
「さあ、皆さんも、こちらへ。」
「ありがとうございます〜〜。」
よいせ、と腰を上げて。
サクラはひょい、と黒鋼が抱きかかえた。
「・・く・・黒鋼さん!!」
「今日は特別だ。小僧も『祝われる』側なんだからな。」
それは、言葉を変えれば。
「ま、普段は小狼君に抱っこしてもらってね〜〜〜。」
「フ・・・ファイさんっ!!!」
真っ赤になってわたわたするサクラの回りを、モコナが飛び跳ねる。
「サクラ、お姫様抱っこ〜〜〜!」
「・・・モコちゃんっ!!」
桜色の、優しい風。
(ありがとう。君のおかげで――――――――――俺は・・・・。)
彼方の遺跡の方を見遣れば。
琥珀色の風が笑ったような、そんな気がした。
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