暖かな陽射しがふわりと降り注ぐ。
小春日和のこんな日は、風さえしのげれば、まこと昼寝にもってこいと言えるようで。
旧校舎の屋上で、1人の男が今まさに実行中といったところだ。
4時間目に担当が無かった。次は6時間目―――――昼休みを挟んでこれほどの休息時間は無い。
そう、いつもなら。
だが、今日は。
「・・・・・・?」
ピアノの音がする。
この旧校舎には、美術室と音楽室がある。
ピアノは一番新校舎から離れた、旧校舎の端の部屋だ。
その性質上、音楽室の窓は完全防音になっている。
基本的に窓は閉められているはずだが、音が洩れてくる。
(それとも、窓が開いているのか。)
今は4時間目の授業中。音楽室の使用は無かったはずだ。
(誰が居る?)
音楽教師の牙暁は、検査入院とやらで、一昨日から欠勤している。
「・・・・・・見てくるか。」
誰かがサボっているなら叱り飛ばさなければならない。
彼の体格の良さと、その醸しだす雰囲気から、校内外を問わず『ワル』と名のつく連中には一目も二目もおかれている。
その大きな体躯からは想像できない様な身軽さで、身体を起こして屋上を後にした。
音楽室の窓は『開いていた』。
躊躇うように1枚だけ。
ひょこ、と窓から覗いて。
(・・・・・・・え?)
女が1人、ピアノを弾いていた。
まだ若いが、この高校の生徒ではない。大学生くらいのようだ。
白いブラウスにジーパンという、音楽家らしからぬラフな格好だが、その『手』は演奏家の『手』だった。
鍵盤を滑るように動き、それと共に紡ぎ出される、妙なる『音』。
1曲終わって、腕をプラプラさせながら、ふう、とため息をついた。
「上手いんだけどな、今は授業中だから閉めてくれねぇか?」
唐突にかけられた声に驚いたように振り向く。
しかし、その言葉の意味をすぐに理解した。
「申し訳ありません。少し空気がよどんでいたので。」
そういいながら窓辺に歩み寄ってくる。セミロングの髪が白いブラウスに映えて、風を受けて舞う。
窓に手を掛けて閉めるより先に、ひょい、と部屋に入り込んだ。
「え?!」
「暇なんだ。1曲、聞かせちゃくれねぇか?」
「・・・・・はぁ・・・・。」
自分で窓を閉めて、その辺の椅子に座り込む。
如何答えてよいのか解らない風の相手に、頭をガシガシと掻いて。
「・・・俺は此処で『古典』を担当してる。黒鋼ってんだ。・・・・あんたは?」
「・・・てっきり『体育』の先生だと思ってました。」
黒鋼はジャージの上下を着ている。アイロンかけなくて済むから楽なんだよ、と呟いて。
「神崎と申します。2ヶ月間ですが、音楽の非常勤講師として参りました。」
「牙暁先生の代役か。」
「検査入院、と伺っておりますので。」
「いつもは何やってんだ?」
「音大の院生ですので、そちらに。」
「まだ学生なのか。」
「・・・そうなりますね、一応。」
学生にとっては、非常勤講師は実に割りのいいバイトなのだろう。
少し、ふん、として。
「何か弾いてくれよ。」
不遜ともいえる態度で促す。何も言わず、ピアノの前に座って、問うてきた。
「何かお好みの曲はありますか?」
「何もねぇ。・・・ってか、『判らねぇ』。」
「・・・・・・・・。」
少し、考えて。
鍵盤の上に指を置いた。
流れる旋律。
激しすぎず、穏やかすぎず。
聞いた事のあるような曲だったが、不思議に心の中に染みとおってくるような気がした。
まるで大きな温もりに包まれているようで。
はっと気が付くと、演奏が終わっていた。まっすぐな瞳がこちらを見ている。
「あ・・・・上手かった。・・・えっと・・・・何ていう曲だ?」
心外な事に、少し言葉に詰まって。しかしそれには全く斟酌せず、緩やかな声で返事が返る。
「パッヘルベル作曲の『カノン』です。お聞きになった事があるかと思いますが。」
「・・・あ・・・確かに『聞いた事』はある・・・・・。」
自分でも何だか声が上ずっていると感じながら。それを隠すかのように、次を頼んだ。
結局昼休みの終わりの予鈴が鳴るまで、都合10曲近く弾いただろうか。
「今日はこの後大学に行かなければなりませんので。」
軽くお辞儀をされて、終わりを告げられる。
「・・・次は何時来る?」
名残を惜しむかのように。
「授業は月、水、木と入っています。それ以外は大学の方で用がありますのでこちらには参りません。」
今日は水曜日。
「・・・明日も何か弾いてくれるか?」
「お時間に障りが無いのでしたら。」
答は、さらりと。
来た時と同じように窓から出て行き様に、ふと振り返る。
ぺこり、とお辞儀をするのを見て、慌てて窓の外に出た。
(・・・・5時間目に授業が無くてよかった。)
自分が自分でないような気さえして。
柔らかな旋律を思い出す。
(明日が楽しみだ。)
今まで冗長なだけと思っていた昼休みが、何だか楽しい時間になりそうで。
黒鋼は、もう一度屋上に上がっていった。
|