柔らかな風が吹く。
そよそよと。
篝火の炎が僅かな風の煽りを受けて静かに揺らめく。
ジリジリと。
玉杯に満たした白酒は、えもいわれぬ芳香を放ち。
馥郁たる香が風に染まった時。
静寂を破って大音声が響いた。
思わず眉を顰めるほどに、それは辺りをかき乱して。
炎は苛立ちの火の粉を飛ばす。
「てめぇかぁっ!こんな戯事考えやがったのは!!」
―――――――――――――― * ―――――――――――――
「ではお願いしましたわね。」
「心得ました。」
軽く一礼して踵を返す。
そのまま退出していくその動きに、何の淀みも見られない。
「あれで目が見えぬなどとは、誰も信じませんわね。」
感嘆の色を滲ませて呟く。
扉や壁にぶつかる事も無く。
静かに歩みを進める様は、躊躇いなど微塵も感じさせない。
だが。
蘇摩は知っていた。
近習として勤めるようになった頃の事。
比較的人の少ない時刻や夜などに、壁や柱に手を伝わせながら、探るように歩いていた事を。
何度も、何度も。
それは、『覚える』ために。
足に、感覚に。
何処をどう行けば何処に行けるか、何処に何があるか。
自然な動きが取れるようになるまで、何度も繰り返し歩いていた。
――――――――そして、それを見守る黒い影の事も。
「・・・・姫様。」
「何ですの?」
蘇摩は言うべきかどうか、少し迷った。
でも。
(気にかけているのは私だけではないし。)
忍頭などは、自分の顔を見るたび、手招きをして、声を潜めてこそこそ尋ねてくる。
いい加減同じ返事にも言い訳にも困ってきていた所だ。
「・・あの・・・・まだ佳い日取りは占えませんのでしょうか・・・?」
「ああ・・・その事ですの。」
知世姫は少し困ったような微笑みを浮かべた。
――――――祝言を挙げる佳い日取りを占ってくれ――――――――。
少し照れくさそうに、頭を下げた、黒き影。
誰も居ないときを見計らって頼みに来たのだろうが、傍に仕える者の身、蘇摩はしっかりと目にしていた。
そのとき、『少し時間がかかりましょうが、必ず占いましょう。』と知世姫は答えた。
『すぐ』ではないことに少し気落ちもしたろうが、頼む、とだけ言って黒き影は消えた。
実際、知世姫は何度か占っている。
しかし。
「あの方が『映らなかった』のは、蘇摩もよく知っているでしょう?」
「・・・・はい。」
それは、『時の魔女』の依代であったが故に。
だが、今はもう、道を分かった。
ならば『映る』のではないのか?
「それが、未だにぼんやりとしか映りませんのよ。」
聞けば次元の魔女様もそうだという事ですわ、と。
次元の魔女ですら鮮明に映せないものを、知世姫が映せるとは考えにくかった。
「はっきりと映らないものを占うのは、とても難しいのですわ・・・・。」
「申し訳ございません、姫様。」
「よろしいのですよ。蘇摩も心配してくれているということなのですから。」
にっこりと笑うその笑顔に、少しは救われる気がする。
「今日はいいお天気ですわね。」
見れば窓から見えるのは、暖かな陽射し。
2月も末近く、ようやく春の足音が聞こえてきたというところか。
それでもまだ風には冷たさが残る。
「お風邪を召されては。」
蘇摩はそう言いながら蔀戸を下ろした。
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夕刻、早くも返書が返ってきた。
正確には口頭での返答だったのだが。
「お招きに感謝し、喜んで訪問させていただきます、とのお言伝でございます。」
「わかりました。遠路ご苦労様でした、退がってお休みなさい。」
「では失礼いたします。」
一礼して退がっていく、その姿が見えなくなった途端。
知世姫はやおら立ち上がった。
「さあ!忙しくなりますわよ!!」
その顔には、『微笑み』。
それは、どこか黒い、魔術師特有のモノだった。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
「日本国に到着ぅ〜〜!」
次元移動の風から抜け出れば、そこは、異国。
「お待ちしておりましたわ。サクラ姫、小狼さん。」
「お招きありがとうございます、知世姫!」
服をつまみ、膝を曲げて軽く礼をする。
軽い会釈を返しながら、知世姫はにっこりと笑った。
「玖楼国には『雛祭り』は無いという事でしたわね?」
「はい。」
サクラは示された方を見て感嘆の声を上げた。
「・・・きれい・・・・!」
紅い毛氈を敷き詰めた、段々飾りに飾られた雛人形。
そのあでやかな着物は多くの刺繍が施され、見る者の目を奪う。
白い胡粉を塗った顔に、繊細なまでの匠の技を持って描かれた眼と口は、えもいわれぬ気品をも醸しだす。
陶然として見守るサクラに、満足そうに微笑んだ。
「喜んでいただけて、とても嬉しいですわ。」
「ホントに素敵です!!」
サクラの笑顔が『屈託の無い、表裏の無い』ものだとするならば。
知世姫のそれは、『真綿に針を包むが如く、裏に何かを隠した微笑み』とでも言おうか。
「実は、お手伝いいただきたい事がございますのよ。」
「え?」
「お二方とも、に。」
ニコニコと。
知世姫は手を叩き、侍女を招いた。
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夕刻。
日は既に傾き、夕闇が辺りを覆う。
中庭には篝火が焚かれ、その爆ぜる音が静寂を破る。
「なかなか面白い趣向だな。」
緋毛氈を敷き、玉杯を手にする天照は、感嘆したかのように呟いた。
中庭に集うのは。
雛段から抜け出してきた雛人形たち。
いや。
雛人形の装束を身に纏った部下たちの姿だった。
「小狼く――――――――ん。」
ファイの声に、小狼は振り向いた。
「あ、ファイさん。」
「へぇ〜〜似合ってるよ〜〜〜♪」
「ありがとうございます・・・ファイさんも俺と同じですね?」
小狼とファイは『五人囃』の装束。
「小狼君の楽器は?」
「これです。」
見せたのは、『小鼓』。
「ファイさんは?」
「オレは笛〜〜〜。」
ひゅるん、と笛を回してみせる。
「小狼君だったら『随身』かと思ったんだけど。」
だがその役は、陰陽司と、戦頭の剛真の両名が務めていた。
「忍軍の頭領はお年だからって辞退されたんだー。」
「へぇ・・・・。」
そこへ。
「小狼!」
裾をたくし上げて、サクラが走ってきた。
「・・・サクラちゃん・・・・その格好で走っちゃダメ・・・。」
「え?・・・あ!!すみません!!!」
たちまち真っ赤になった、サクラが纏うのは女官装束。
「あ〜〜『三人官女』なんだ〜〜〜。」
かわいいねー♪と言う声に、ますます真っ赤になる。
小狼も少し顔を赤くして、大切な姫を見遣った。
「黒たんは何の楽器だろー?」
きょろきょろと。
中庭を見渡したファイは、ふと気付いた。
「あれ・・・?」
(『五人囃』・・・全員揃ってる?)
忍軍の若手たちが3人、同じ装束で笑いあっていた。
互いに、似合わねー!!などと言いながら。
(じゃあ・・・・・・?)
答は。
辺りの空気を薙ぎ払わんばかりの大音声で告げられた。
「知世――――――――っ!!」
し・・・・ん、と静まった中庭に、足音も荒く駆け込んできたのは。
「てめぇかぁっ!こんな戯事考えやがったのは!!」
「なんですか、黒鋼、騒々しい。」
「何で俺がこんな格好しなきゃならねぇんだよ!!」
「おや?実によく似合っているのだがな?いい男っぷりが台無しだぞ。」
「放っとけ!!天照!!てめぇも同じ穴の狢か?!」
とても君主と臣下の会話ではないのだが。
周りの侍女たちや公達たちは、ざわめきを抑えきれなかった。
(えぇ?!あれは黒鋼なの?!)
(ちょっと・・・・・!なんであんなに似合ってるの?!あんなに『がさつ』なのに!!)
(もしかして・・・黒鋼って『いい男』なの?!)
(元々は諏倭の若君だと聞いてはいたが・・・・。)
(嘘だと思っていたが、どうやら本当だったようだな・・・!)
ひそひそと。
しかしざわざわと。
それも、むべなるかな。
黒鋼が身に纏うのは。
『束帯』、だった。
馬子にも衣装、という諺がある。
確かにどんな者でも、表面を取り繕う事はできよう。
しかし礼装というものは、その者の内面が如実に現れる。
着慣れない物を着れば、たちまちにボロが出てしまう。
『服に着られている』状態になるのだ。
しかし。
黒鋼は元々諏倭の若。
元来持ち合わせているものが、逆に表面に出てきたに過ぎない。
普段の彼だけを知る者には、青天の霹靂であるが如く、その姿はまさに『貴公子然』としていたのだった。
旅の仲間は。
『それ』を知っている。
「ひゅー♪黒様、かっこいいー!!」
「すごく似合ってますよ!!」
「黒鋼、『いい男』なの――――――!!」
「他の方とは違いますね!!これ、何という服ですか?」
「あ?・・・・・あぁこれは『束帯』だ。礼装だと思えばいい。」
サクラがあれやこれやと質問するのに気を削がれてか、説明を始める。
「これが『石帯』といって、石をつけてある帯だ。」
「この板はなんですか?」
「これは『笏』だ。別にこうする為じゃねぇ。」
そう言って、ファイの頭をぺし、と叩く。
「痛ぁ―――――――!!」
「公卿たちが自分に必要な事項を書き留めておいたりするんだがな。」
現代で言う所の『カンニングペーパー』だ。
もちろん今は何も書かれてはいない。
腰には佩剣として『銀竜』を佩いている。
「帽子に模様が入ってますね?」
「『冠』だ。これは高位仕様の『有文』だから模様が入っている。」
「『冠』に尻尾がついてるのー♪」
「尻尾じゃねぇ!!これは『纓』だ!!」
モコナをがしぃっ!!と掴む。
「これは『垂纓』だ。皇族か高位の文官仕様なのな。」
「黒様だったら武官じゃないのー?」
「武官ならこれをこう、くるくると巻く。『巻纓』ってんだ。」
『随身』役の剛真たちのは、確かに纓が巻いてあった。
「本来なら内裏雛は『立纓』なんだが、それは帝のものだ。」
もし天照が男性であったなら、儀式の時に被る冠は『立纓』の冠になる。
だが、黒鋼はあくまでも臣下の身分。
だから絶対に『纓』は『垂纓』でなければならないのだった。
「服も、もし天照だったら『黄櫨染』を着用する。」
『黄櫨染』は帝だけが着用すると決められた『色』。
当然、帝だけに定められた色を着るわけにはいかない。
それは皇太子とても例外ではない。
今黒鋼が着ているのは『黒』。
実際に今、黒鋼が身に纏うのは、帝、皇太子に次ぐ高位の仕様だった。
「黒鋼、物知り〜〜〜♪」
『有職故実』に通暁しているとは思えない人物であるからにして。
口をへの字に曲げて耳を掴む黒鋼と、足をぶらぶらさせて喜ぶ(?)モコナに笑いを零し。
感嘆する事しきりのサクラを、微笑ましい想いで見ていたのだったが。
(あれ?)
ファイと小狼は同時に思い当たった。
(黒鋼さんが『内裏雛』役って事は・・・・?)
(当然・・・・・・?)
「お仕度できました。遅くなりまして申し訳ございません。」
女官長の声に、皆は振り向いた――――――――。
「・・・・お・・・・・・。」
声にならぬ声。
ため息がそこかしこから漏れる。
十二単に桧扇を持ち、裳裾を官女姿の女官長と蘇摩が掲げている。
天照と知世姫の前で、『その人』は礼をした――――――――。
「本当によく似合っていますわ。」
「さすがだな。よく着こなしている。」
この人とて。
かつては『姫』と呼ばれた、魔道宮の王位継承者であった者。
その気品と威厳は、残念だが他の者には出せないものだ。
「お髪の長さがいささか足りませぬ故、大垂髪には結えませず・・・・。」
女官長が言い訳のように言上する。
「垂髻で限界か。」
「はい。仮髪もお色目が変わります故・・・・。」
基本的に仮髪、いわゆる『付け毛』は人間の髪を使用する。
日本国の多くの者は黒髪だが、リアンの髪は深い紺色。
似ているが、合わせるとその違いははっきりとする。
日本国では、貴賎を問わず女性は髪を伸ばす。
蘇摩の髪が短いのは、忍としての任に差し支えるという理由による。
そして後頭部で高く結い上げるのが通例。
天照が結い上げないのは、いざ戦い、という時に兜を被るのに邪魔な為だ。
天照は、『国の護り手』。
『戦う者』だ。
それ以外の知世姫や城勤めの高位の侍女たち、遠くは諏倭に在った黒鋼の母も後頭部高く結い上げていた。
リアンも、最初は長かった。
魔道宮での最後の姿に『戻った』時。
『光の檻』に囚われていたそのままの姿であった為、膝ほどまでの長さがあった。
しかし。
「自分で始末が出来ない。」
長さとしても、そして『結う』事も。
切ってくれと頼まれた蘇摩が、あまり短いと、と躊躇ったため、腋を少し越えるくらいで切り揃えた。
その『光』は失われ、侍女に傅かれる身分でもない。
自分しかする者が居ないのに、『できない』のであるならば、切るしかない。
それでもやはり黒鋼にとっては不満だったと見えて、伸ばした方がいい、とぼそりと呟いた。
如何にも落胆したかのような呟きに同情したわけではないが、それ以降は揃える程度で、短くしてはいない。
そして、今では腰を少し越えるくらいになっていた。
普段は緩やかな三つ編みにして後ろに流している。
その髪を、少しひっつめる形で後ろで束ねて。
額には釵子をつけていた。
きれいだ、きれいだ、といってサクラが目をキラキラさせている。
「ほら、黒様、ちゃんとエスコートしないと!」
ファイにドン!と背を押されても、どうして良いかなど解るはずも無い。
頭をがしがしと掻きながら、それでも傍に寄った時。
「・・・・キュウ・・・・・・。」
「・・・きゅう?」
思わず聞き返したことには。
およそ発せられるはずの無い声であったが故で。
「何だ?」
「・・・・重い・・・・・。」
「・・・・・・・は?」
言ったその意味が解らなくて。
しばらく考えて、やおらひょい、と、裳裾をつまみあげた。
「!!・・・なんだ?!この重さは?!」
「刺繍を多く使用いたしますから、当然お召し物は重うございますよ。」
何を当たり前の事を、と女官長は呆れ顔だ。
「・・・・これって、姫君方も着るんだよな・・・・?」
「しかるべきお家柄の女性は儀式の際には必ず着用です。」
「・・・大変なんだな・・・女ってのは・・・・・。」
半分感心して、半分呆れて。
どれどれ?と同じように裳裾をつまんだサクラもファイも小狼も、その重さに絶句した。
「私、玖楼国の人間で良かった・・・・。」
砂漠の国では、その風土から、軽くて開放的な服になる。
玖楼国では、このような着物は到底考えられなかった。
サクラ自身、今は女官装束だが、これほど重くはない。
重ねてある着物の枚数も異なっていた。
「魔法で軽く出来ねぇのか?」
「知世姫が・・・・してはならぬ、と・・・・・。」
「・・・あンの野郎・・・・・。」
思わず睨みつけた、その当人はそ知らぬ顔で手を叩いた。
「さぁさ、皆のもの、雛段に移動ですわ!」
玉座の正面にしつらえられた大きな雛段。
三々五々に傍に行く。
「1番上からだねー?」
1番上は。
「・・・・・・・・・・・。」
本気で、困った。
ただでさえ、重い着物を着ていて動きがぎこちない。
この雛段は今日のこの為に新設されたものだから、『覚えていない』。
しかも1段1段が座る分を考慮してかなり大きく、段差も結構ある。
ピョン、と飛んで上れるものでもなかった。
「・・・・あぁ、もう!!」
笏を帯の後ろに挟み。
ずかずかと歩み寄り、ひょい、と抱え上げた。
「・・・!って・・・重ぇ!!」
「・・こ・・・これ!!女人に『重い』などと言ってはならん!!」
剛真のツッコミがいささか的を外れているような気がするのは。
――――――――気のせいでは、無いだろう。
「マジで重いんだよ!!」
「だから・・・これ!」
「こいつの『素の』重さぐらい知ってるよ!!」
そのまま普段よりは足取りは重いものの、身軽な感じで段を登っていく。
(・・・・・今のは・・・・・。)
(・・・問題発言だって、気付いてないよね・・・・?)
顔を見合わせた小狼とファイがこっそりため息を漏らす。
さすがに恥ずかしいのか、袖で口元を覆っていたが。
最上段でようやく下ろされ、ペタリ、と座り込んだ。
座った分、少しは重さが軽減されたのか、深いため息をついたのが何だか哀れでもある。
続いて上がってきた蘇摩が裳裾などを整えた。
「これでよろしいですわ。」
「・・・ありがとうございます・・・。」
力無い返事に、黒鋼もため息をついて、どかりと腰を下ろす。
サクラも案の定オタオタしたので、小狼が抱えて段上に運んだ。
「・・・小狼・・・・。」
「ずっこけるよりマシだろ?」
そう言われれば、否も応も無い。
サクラと女官長、それと上の段から降りてきた蘇摩が一緒に並んで『三人官女』は揃った。
続いて『五人囃』――――――小狼とファイも言われた位置に就く。
『随身』、『仕丁』と次々と並んだ。
「ホントに綺麗なの――――――――!!」
モコナの声は、掛け値なしの賞賛。
侑子が撮れって言ったのー♪と言いつつ、インスタントカメラでバシャバシャ撮影をしている。
中庭に出現した、巨大な段飾り。
最上段の黒い仏頂面は別として、皆それなりに納まっている。
「・・・・重くねぇか?」
そっと問えば。
「・・・少し、慣れた・・・。」
その声は、しかしどこか弱くて。
天照が『では酒宴だ!』と声を掛けると、今度は下から順に段を離れていく。
サクラは今度は小狼に手を取ってもらって、ピョン、ピョン、と降りてきた。
しかし、最上段はそうはいかない。
結局また抱えて下ろす事になる。
地面に足がつき、寄り添うように立つその姿は、まさに一対の男雛と女雛であって。
皆の目も、奪われて放れない。
「二人とも、ちょっと此処においでなさい。」
知世姫が手招きをする。
眉間に皺を寄せ、しかし、すい、と手をとって誘導する。
(黒様、ちゃんとエスコートしてるじゃん。)
ファイはこっそり笑う。
実際には、いわば洋風の所作ではあるが、旅の中で覚えたのだろう。
ぎこちなさを感じさせない所が大したものだ、と思う。
普段そういう所を全くといっていいほど見せないせいでもあるだろうが。
「・・・で?何だよ?」
知世姫の前に進み出て問う。
にこにこと。
まさに至上の微笑みを浮かべて知世姫は言った。
「今から、貴方たちの祝言を執り行います。」
―――――――――――――― * ―――――――――――――
「・・・・・はい?」
「・・・・・何?!」
当事者といえど、まったく『聞いていなかった』ので。
周りに起こったどよめきに反して、2人はキョトン、としていた。
「・・・祝言、て・・・・。」
「佳い日を占ってくれ、と言ったのは貴方ではありませんか。」
「・・・・そりゃあ言ったが・・・・・。」
「『今日』がその『佳い日』なのですわ。」
「・・・お前、一言も言わなかったじゃねぇか・・・。」
「あら、何か不都合でも?」
「あ・・その・・・・まだ何の準備もしてねぇし・・・・・。」
日取りを聞いてからでもいいと思っていたのだ。
まさかその当日、それも直前になって告げられるとは。
「不服なら、日延べしても構いませんことよ?」
「その場合、何時になるんだ?」
その時の知世姫の笑顔を、小狼は絶対に忘れない、と思った。
「次の『佳い日』は7年後ですわ。」
「・・・・今、やる。」
極端に解りやすい反応で。
黒鋼は、その場にどかり、と座った。
既に1年近く待った。
さらに7年も待つのはもう無理だ。
「ほら、お前も座れ。」
くいくい、と袂を引いて。
注意を促せば、ようやく理解したかのようにちょこん、と座る。
その頬がかすかに染まっているように思うのは――――――篝火に照らされた桃の花のせいだろうか。
「ではここに、祝言の儀、謹みて執り行います。」
静かに麻が打ち払われた。
************************************************
「掛巻も畏き 諸神等の廣前に 恐み恐みも白さく・・・・・。」
静かに祝詞が流れていく。
その手を軽く地につけ、顔を伏せ。
その頭上を麻が振るわれて清めていく。
かつて『夢』で見た『父』は。
『三日三晩も続く』という祝言に早々に音を上げていた。
確かに正式な手順を踏んだなら、それ位はかかるのかもしれない。
自分もきっと耐え切れなかっただろうとも思うのだが。
それでも。
(これで、ようやく・・・・。)
真の意味で、『自分のもの』に。
やっと、手に入れることが出来る。
元々この人には、『自分を大事にする』という事項が大きく欠如している。
他人の危機に際して、『自分が動く』事に何の躊躇いも見せない。
それは、常に『命の危険』にさらされるという事。
何時手の届かぬ岸へ飛び立ってしまうかも知れぬ危うさをも秘めながら。
だが、これで。
――――――――いやしかし、かといって。
これは『鎖』ではない。
『縛る為』のものではない。
もっと、もっと深く。
魂の奥底で。
これは、共に歩むための――――――――。
もう1つの、『絆のカタチ』。
長い、長い時間。
永劫の苦しみを背負いながら、たった一人で時の流れを渡ってきた。
残った時間の僅かな事は既に知れている。
それが――――――――今。
この地で、この日本国で。
ようやく魂は安住の地を得たと言う事か。
常に『護り手』であったこの身を、『護る』と決めた、と言葉にした人が傍らにいる。
それは、夢のようで。
『信じること』が怖い。
顔を上げたら、全てが掻き消えてしまうのではないか、と。
微かに肩が、手が震える。
「お盃でございます。」
女官長に言われて、眼前に盃を差し出されても、手が動かなかった。
「さあ。」
手をとり、盃を持たせてくれる。
そして、その手を優しく包み込んでくれた。
「・・・・・・・・・。」
「何の心配も要りませぬ。信じる道をお進みくださいませ。」
慈母の如き微笑みは、熱い想いを呼び起こす。
幼き日に逝った母が、もし存命であったなら。
――――――――このように力づけてくれたのだろうか?
手の震えが止まったと見て、静かに盃に神酒が満たされた。
そっと口をつけて。
3度に分けて盃を干す。
「日本国を守りたる龍、諏倭を守りたる龍、共々に聞食して、今日の日の寿ぎと為さん。」
そう、諏倭の地も、また。
己が第2の故郷と定めし地なれば。
(己が全てをかけて、護ろう。)
この国の、全てを。
自らの誇りと信念のままに。
そして。
(・・・共に行こう。)
この人、と。
「これをもちて、この者等を夫婦なりしと、所聞食せと、恐み恐みも白し給はくと白す――――――――。」
時は三月、弥生の吉日。
桃の花が風に散り急ぎ、満月の光が皓々と冴え渡る夜のことであった。
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