静かに風が吹く。
昼も、夜も。
かすかに虫の声が聞こえてくる。
それほどの、静寂。
「ずいぶん遅くなった。もう寝よう。」
応えは、無い。
―――――――――――――― * ―――――――――――――
全てが、終わった。
望ましい結果であったとは言い切れまい。
皆がそれぞれに傷ついた。
身体も、心も、そして魂そのものも。
「いつまででもご滞在くださいませ。歓迎いたしますわ。」
「治療に必要な薬などは遠慮なく申し出るが良い。可能な限り調えてつかわす。」
知世姫と天照の言葉に、『小狼』は静かに頭を下げた。
「ご迷惑をおかけする。」
「よろしいのですよ。何の遠慮もありませぬ。」
静かに袖に笑みを零す。
玖楼国では、だめだ――――――――――。
それが皆の一致した意見だった。
玖楼国には思い出が深すぎる。
ましてや桜が『二人』存在することも出来ない。
「貴女の大切な『小狼』を護ってあげてください。」
心を託して、桜は玖楼国に帰っていった。
その意を受けて『サクラ』は誓う。
「護ります。『私の』小狼を。」
それは、誓い。
「いい風が吹いてきた。いつもの丘に行こう。」
『小狼』は小狼の手をとった。
そのまま玄関に出る。
草履の鼻緒を丁寧に指の間に通してやる。
「よし、これでいい。」
手をとって立たせてやり、そのまま外に出た。
『城中よりは落ち着けるだろう』と与えられた、一軒の家。
古民家だが佇まいが良い。
吹き抜ける風も、優しいと思った。
ぺたり、ぺたり。
あまり足を上げずに引きずるようにして歩く。
それでも『自分で』歩いているから。
(これはこれで『良し』としよう。)
たとえ、そこに『心』が無くても。
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自らの為した事を全て受け止めるには、小狼の心は優しすぎた。
狂ったように叫び、泣き、自らを責め、詫び続け。
押さえるのが大変だった。
ようやく落ち着いたとき、小狼の『心』は。
ガラスのように砕け散り、言葉すらも失ってしまった。
サクラの呼びかけにも反応しない。
だがどこかに断片的に残っているのだろう。その顔が悲痛に歪むときがある。
サクラを見た時。
ファイを見た時。
目を合わせれば、琥珀と藍玉の光は揺れ、身体ががたがたと震えだす。
心拍数が急上昇し、口は酸素を求めてあえぐ魚のようにぱくぱくとする。
そして発作のように叫び声を上げて突っ伏してしまう――――――――――。
「まだ、目を合わせないで。傍に寄り添って。声は少しずつかけてやったらいい。」
『小狼』のアドバイスに、サクラは悲しげに頷き、そっと小狼の背をさする。
「小狼、願い続けたらきっと願いは叶うの。絶対大丈夫。ね?」
やがて膝にもたれるようにして眠ってしまう小狼を見て、大粒の涙がぽとりとこぼれた。
「・・・・だめだよね。私が泣いてちゃ。」
「泣きたい時に泣くのも『強さ』。泣きたい時に泣かずに済ませられるのも、また『強さ』。」
それは旅の初めの頃に黒き疾風と白き魔術師が呟いた、言葉。
「いい風だなあ。本当に、ここは、いい。」
家の近くの丘は、爽やかな風が吹き抜ける。
『生きる』為の行動が何も出来ない小狼は、眠っている時以外はほぼ常時看護を必要とする。
サクラと『小狼』、そしてファイの3交代制でそれをこなしている。
服を着替えさせ。
風呂で背中を流し。
眠るために床を敷いてやる。
「あとは『食べる』ということに執着を持って欲しいな。」
実際小狼に『食べさせる』ということがどれほど大変か。
かたくなに唇を引き結ぶその口を何とか開けさせるだけでも重労働だ。
定期的に封真が届けてくれる点滴セットがなければ到底不可能。
「侑子さんから対価はもう貰っているからね。」
そう言ってほぼ毎日届けにきてくれる。
それでも絶対量が足りないのは一目瞭然。
「・・・ずいぶん細くなったな。『あのサクラ』を悲しませるようなことをしないで欲しいんだが・・・・。」
『小狼』の声は、届かない。
「いっそのこと、オレと同じに、とさえ思ってしまうね。」
内緒だよ、と唇の前に指を立ててみせて。
金糸の煌きに苦悩の色を見る。
吸血鬼なら、その類い稀な生命力なら、と。
しかしそのために受ける苦しみを思うと、どうしても躊躇ってしまう。
ましてや『人外の存在』に成り果てることを小狼が望むかどうか。
「どんな形にせよ生きていて欲しい、というのは周りの人間のエゴでしかないんだよ。」
それによって救われる魂もまた、存在するのだが。
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それでもこうやって散歩に連れ出しているから、筋肉の衰えをかろうじて防いでいるといえる。
手を引いて、どこか引きずるように、でも歩調をあわせて歩む、その姿。
それを見た人は一様に驚く。
そして声を潜めて噂をする。
双子のお兄さんが気のふれた病弱な弟の手を引いてゆっくりと散歩しているよ――――――――。
そこに『同情』と『哀れみ』があるのは知っているが、そんなこと。
「気になんかしない。お前がそれで『戻って』くれるのなら。」
栗色の髪が、風になびく。
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「やはりここか。」
振り向かなくても解る。
丘に座り込んだ2人の背後から降った声。
誰よりも小狼を心配し、サクラを思い遣り、ファイにも心を砕き、自分にも気遣ってくれる、存在。
「ここは本当にいい風が吹く。自然の営みを感じることが出来る。」
「すぐに陽が落ちるぞ。風邪引かないようにしろ。」
それは、『2人とも』、と。
「非番なのか?」
「終わったところだ。」
彼は、忍者。
日々過酷な任務に明け暮れる。
それでも時間が許す限り訪れてくれる。
時には看護で疲労困憊した自分たちの代わりを務めてくれることもあった。
「食え。」
目の前に差し出されたのは。
「水蜜だ。皮ごと食っていい。」
「日本国では『桃』を『水蜜』というのか。」
甘やかな香りが広がる。
黒鋼は静かに小狼の前に腰を屈めた。
「・・・・・・・・・。」
言葉は無い。
だが、明らかに小狼の顔には『表情』が浮かんでいた。
それは、嬉しそうで。
それは、父を慕う無垢な幼な子の眼差しで。
彼にどれほど依存しているか。その眼差しは如実にそれを示している。
いつも思う。
悔しい、と。
自分を鏡に映して作られた『鏡の虚像』なのに。
いわば自分の方が『親』なのに。
小狼は自分に『親』を見ることは無い。
黒鋼に『親』を求めている。
『親』という喩えに誤りがあるとしたら、『拠り所』とでも言い換えようか。
頼ってもらえない、鏡の実像。
『小狼』の思惑を知る事もなく、黒鋼は小刀で桃の皮を器用に剥いた。
「そら。」
小さく一口大に切り取られた欠片に、小狼はしばらく口を閉ざしていたが、静かに少しだけ口を開いた。
その隙間に欠片は滑り込んでいく。
喉が上下するのを確認して、次の欠片を差し出す。
僅かな空間を開けるのみではあったが、まるで雛が餌をねだるように口を開く。
その度に小さな欠片は吸い込まれていく。
咀嚼はしていないようだったが、確かに胃の腑へと落ちていっていた。
小狼が『食事をする』確率はとても低い。
その僅かな回数の中で、高確率を持つのが黒鋼だ。
サクラも自分もファイも、ろくに食べさせてやれたためしがない。
だからといって黒鋼がいつも食事介助をしてやれるものでもない。
黒鋼でも口を開けてくれないことは多いのだ。
それでも今、小さな欠片とはいえ確実に桃を『摂取』―――――――いや、『食べて』いるのを見るのはとてもうれしかった。
「手、べたべたするからな。そこの川でちゃんと洗え。」
驚いて見ると、きちんと皮を剥いた桃が目の前に差し出されていた。
小狼が食べた残りは、すでに黒鋼の腹に収まっているらしい。
では先ほど受け取った自分の分を、いつの間に。
「桃は丸ごと齧るのが本当は一番美味ぇんだ。」
皮は少し邪魔だがな、と。
受け取るとそのまますぐ傍の川に手を浸してじゃばじゃばと洗っている。
「食え。」
「あ・・・うん。」
かぷり。
「・・・甘い・・・!」
「水蜜、というくらいだからな。」
「うん。本当に美味しい。」
甘やかな香りが鼻腔をくすぐり、心の漣が静まっていく。
「たまには甘いモンでも食って仕切り直せよ。」
え?と。
尋ねようとした頭をわしわしと撫でられた。
「?!」
「お前ら、余裕無さすぎ。」
立ち上がったその背は。
――――――――――あぁ、そうか。そうなのか。
遠い地に在る父の背とどこか似ている。
大樹のように大きくて。
何処までもまっすぐで、ひたむきで。
厳しさと優しさをない交ぜにした、あの。
「旅の途中で『お父さん』扱いされたのも、このせいか。」
「あぁ?!」
「いや、なんでもない。」
彼が、居てくれたら。
いつか、きっと。
小狼は戻ってきてくれる。
ぎこちないかもしれないが、笑ってくれるようになる。
そうしたらサクラにもファイにも、笑顔が戻ってくれるだろう。
そう、彼が居てくれたなら。
「貴方のおかげで未来が明るくなった気がする。」
「よく解んねぇが、何か役に立てたなら十分だ。」
丘の上を渡る風が、いつもより柔らかい、そんな気がした。
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